Masayaのblog

好きなことを好きな時に表します。ブログという言葉を変えたり消したりして出来上がった100%のものを読んでいただくわけなのですが、その中の10%でも20%でも自分の自惚れて綺麗事で選ばれた言葉に共感や反論を持っていただけたら幸いです。

経験職

 

僕らが進む速度は個々で違う。

歩くのだって、覚えるのだって、強くなるのだって、成長するのだって。

 

それゆえ育ってきた環境も違うから

一人ひとり、別の個体になる。

 

環境=価値観になるなら

セロリって曲のワンフレーズ目はなかなかよく出来た歌詞だとも思える。

 

 

 

という前菜はちゃっちゃと飲み込んで

 

今日は経験職について話しましょう。

 

私は長年の経験で手に入れられる仕事力は“妥協点を見つける力”だと思う。

 

経験職ってのはまさしくそれで、長くやればやるほど、ここはまだ平気だとか、そろそろ危ないからやめとくかとか。

 

そういう妥協点を見つけられることが、仕事ができる・効率の良さに繋がるのだと、私は思う。

 

こんなことを思ったのは、仕事にいい塩梅がつけられず、時間ばかりが過ぎていく自分のやり方に憤怒しているからだろうな。

はやくはやく〜、塩梅塩梅。

(たまにはこんなテキトーな回で)

2人


お酒。

大人数でワイワイガヤガヤして飲むのはほんとに楽しい。

赤くなった自分の耳も気にせずに、見栄を張って飲んだお酒。

そんな夜があったことは忘れられないだろう。

 

 

 

そしてこの頃。

僕はよく2人で(少人数で)お酒を飲む。

無理をせず飲むので、今日飲んだお酒の名前も味も杯数も全て覚えている。

仕事の話をしながらだらだらとトーク

大人になったんだって少し実感する。

 


体も心も1つも成長はしていないのに。

ただ日常の環境が、世の中の情理に逆らわずに横並びの人ごと1つ上がっただけなのに。

 


2人で飲むときだから、きっと話をするのはターン制になる。

 


僕の仕事、あなたの仕事、僕の仕事、あなたの仕事…

 


いつも2人飲みの前は、たくさん話を聞こうと心掛けていくんだけども、結局お酒が入ると舌が弾んでしまう。

 


人は自分の話を聞いてもらいたいものなんだな。

だから、辛いことがあれば話せる人に寄り道して、人がいなければ場所に寄り道して。

 


人の話を聞くのは、知らない世界で知らないものを知らない視点で見れるから好きだけど、

自分の思うことを外に出す。

この気持ちに同感・同情して欲しい。

僕はこんなに頑張ってるんだぞ。

きっとそんな気持ちの方が大きくなって、押さえつけた気持ちに急にスイッチが入ったりする。お酒のせいが大半だけど。

 


もう相手が聞いてなくても、辛いことあれば口を開けばいいんだよ。

ふーん、そっか、大変だね、

これだけでもさ、嬉しくない?単純かな。

 


僕の口が音を出して、あなたの耳に届いて。

その後にあなたの口が開いて、音が返ってきての繰り返しができれば。

 


そうして今日の最後に、

”楽しかったね”って自分もあなたも思えたら大満足よ。

家に帰ったら、今日なに話したか覚えてない日でも、心の中はスッキリしてるもんなんだよな、結局のところは。

 


よかった、僕ら人間が単純な生き物で。

これからもたくさん話そうね。

 

 

 

新しい生活

新社会人になり、はや3ヶ月。

仕事が始まり、初めは真っ白だった頭の中も、徐々に今の仕事の色が入っていく。

新調したノートも、この世にしがみつくかのような、行にも列にも当てはまらないボールペンの跡が至るところに駆け巡っている。

 

そうして一瞬にして最後のページに辿り着き、少し慣れた手つきで書いた僕の文字を綴ったとき、思った。

 

仕事とは。

これを続けて何が残るのか。

ここで間違っていないか。

やりたいことはなんだ。

 

 

大学受験では、鉄板の解答があった。

「この4年間でやりたいことを見つけたいです」

 

果たして、この定型文を口にしたものは、手にできたのか。ビジョンが見えたのか。

 

 

その4年間で見つからなかったから、また決まったレールに乗っかってこの道を進んでるんだろうな。

 

改善策はあるのかな。

そう考えては、またすぐ今から探したいですと言って、口だけ旅に出ちゃうんだろうな。

 

 

少し懐かしいやり方だけど、1年後の自分に手紙を書こう。

“お元気ですか?やりたいことは見つかりましたか?”と。

 

仕事は60歳までって思っているから、とりあえずだらだら生きてるんだろうけど、明日にも生が途切れるかもわからないからね。

常に探さないとね、自分らしさ。

 

存分に自惚れて、自己肯定していきましょう。

 

 

 

 

ムダ

 

時間はみんな一日24時間。

もちろんできることも限りがある。

だから無駄にしたくないよね、時間って。

 

自分のこと、自分のこと。

自分のこと、自分のこと、自分のこと。

 

ほら、私充実してます。

 

たしかに無駄ではないけどさ。

 

他人のことに時間を使ってあげられるぐらい余裕がないのかなと。

 

他人の生産性を上げることが、自身の生産性に繋がることはとても少ないと思うけど

 

もっと、ほら、ね、 

自分も周りも共にハッピーにいこう。

 

自己満でもね、もっと他人のために時間を使えば。

君たちの腕が二本ある理由を考えてみなよ。

 

目標を見失わない。

夢を見失わない。

 

 

目標や夢は簡単に変えられる。

変えてはいけない誓約書や、ましては罰則なんて聞いたこともない。

 

だから、目的地の変更はいいんだよ。

目標も夢もなりたい姿なんて、探せば探すほど明確になり、程遠くなり、見失いそうになる。

 

だけど、これしかないのだと追いかけていくとなにが残るだろうか。

 

何かを得るためには何かを失わなければならないとかいうやつ。

 

いやいやいや。

そんなことあるか?

 

僕は人間の考えは無限であると考える、楽観主義者だ。

だけど、間違ってるとは思えない。

 

生まれてからいくつのことを学んだのだろう。

学校に入ってからどんな自分を見つけたのだろう。

社会に出てめちゃくちゃになっても生き続ける自分にどんな力がついただろう。

 

そんな長い道のりを歩いてきた人でさえ、自分には足りないことばかりだ、なにもできないと言う。

 

大丈夫。

まだ入るよ。

僕らの脳は無限だよ。

 

結局見失ってはいけないものは自分という1人の人間であるということだろう。

 

人でなければ、こうはなれない。

私でなければ、こうはならない。

 

私という1人の人生でどれだけ多くの人に干渉できるかが、私にとっての生きる価値だと思う。

 

 

16年

 

小さい時は遊ぶのと泣くのが日課で、突然放り込まれたこの時空間での生活の仕方だったり、基本を知った。

 

学校に通うようになってからは、他人との関わりや一般常識と言われる勉強など、人間であったら誰しも知っているであろうことを、全員が同じ時間を使って学んだ。

 

長年続けてきたこの当たり前だと思われているサイクルは、ほんとに一人一人の成長に繋がっているのだろうか。

 

クラスという箱決め、決められた席、人となにかが違うことでのいじめ、興味のないことへの強制、文理の選別。

 

たしかに学校というもの全てが子供にとってマイナスになるとは全く思っていない。

むしろプラスの方が圧倒的に多いと思う。

 

だけど、まるでそれはすべてが定められた檻に入るように仕向けられ、箱の中で弱肉強食を繰り返したり、結果で順位をつける。

 

 

我々が生きているここは、必ず1日に24時間が経ったら、また次が来るようになってる。

そんな早い時代の流れは、もうこんな日本をおいていこうとしているのかもしれない。

 

これからのこの島は少子化で子供の価値が上がる。

さらに、科学技術は進化し、働く人間は極端に減る。

 

そんな中、子供たちに、この大きく変わる世の中でうまく生きていくために、なにを伝え、なにを選ばせ、どう成長させるべきか考えていく必要があると思う。

 

その考えは大抵子供の選択肢を誘導するものになる。

それが正しいかはわからない。

 

今、子供には好きに生きて欲しいと言う親が多くいる。

なのに結局勉強をしろだの手伝えなどと命令しているのだから、いっそそんな願いは捨て、簡単なジャブを教えてみることにしてほしい。

 

社会に出て、多くを経験して、失敗も成功もわかる大人たちなら、どういうことを教えるべきかわかるはずだろう。

 

一を教えて十を育てる。

 

教育という成長の大きな土台となるカテゴリのために、大人は使い捨てのカイロのようになることがいいんじゃないかな。

 

 

 

2019/05/06

今日、大学四年生の僕は将来を考えることにした。

その記録としてブログに文字を綴る。

 

僕らの人生は大体80歳ぐらいまで。

生まれてから死ぬまで、なにをしていたか。

神様なんているかわからないけど、そんな存在からしたら、一人一人の人生なんてどうでもいいはずだ。

 

結局、生まれたって死ぬんだし。

一生懸命生きたところで、最後の最後まで覚えているのは身近な人ぐらいなんだろうな。

 

人間は不老不死ではない。

まるでスポンジみたいだ。

 

知識もなにもないカラッカラの状態から、水を含んだり、強力な洗剤を身に纏ったり。

 

時に、油や汚れがついて綺麗なものではなくなっても、それでも、それでも使われる。

 

けど、結局最後は何もかもなくなって、またカラッカラの状態で捨てられる。

 

無様だな。

 

そんな消耗品の僕たちなのに、毎日毎日つまらない、世間を知らない人生を送って死ぬなんて、人間として生まれてしまった僕はまっぴらだと思った。

 

だから、いろんなことを自分でしかできない形でやってみようと思う。

人生という有限の中で自分のやりたいこと全てできるとは思ってない。

 

現に今だって、お腹空いてるけど、お財布忘れたからなにも食べれないし。

 

だけど、なにか大きなものに触れてみたい。

 

そんな理想という活力を無駄にしたくない。

知識がなくても、体が一つしかなくても。

 

頑張っていきたい。

 

思いつくすべての思考に滑車をつけて、なにもない暗闇の中で円滑に、前にも後ろにも進める人になりたいな。

 

どこかのタイミングで起業したい。