16年
小さい時は遊ぶのと泣くのが日課で、突然放り込まれたこの時空間での生活の仕方だったり、基本を知った。
学校に通うようになってからは、他人との関わりや一般常識と言われる勉強など、人間であったら誰しも知っているであろうことを、全員が同じ時間を使って学んだ。
長年続けてきたこの当たり前だと思われているサイクルは、ほんとに一人一人の成長に繋がっているのだろうか。
クラスという箱決め、決められた席、人となにかが違うことでのいじめ、興味のないことへの強制、文理の選別。
たしかに学校というもの全てが子供にとってマイナスになるとは全く思っていない。
むしろプラスの方が圧倒的に多いと思う。
だけど、まるでそれはすべてが定められた檻に入るように仕向けられ、箱の中で弱肉強食を繰り返したり、結果で順位をつける。
我々が生きているここは、必ず1日に24時間が経ったら、また次が来るようになってる。
そんな早い時代の流れは、もうこんな日本をおいていこうとしているのかもしれない。
これからのこの島は少子化で子供の価値が上がる。
さらに、科学技術は進化し、働く人間は極端に減る。
そんな中、子供たちに、この大きく変わる世の中でうまく生きていくために、なにを伝え、なにを選ばせ、どう成長させるべきか考えていく必要があると思う。
その考えは大抵子供の選択肢を誘導するものになる。
それが正しいかはわからない。
今、子供には好きに生きて欲しいと言う親が多くいる。
なのに結局勉強をしろだの手伝えなどと命令しているのだから、いっそそんな願いは捨て、簡単なジャブを教えてみることにしてほしい。
社会に出て、多くを経験して、失敗も成功もわかる大人たちなら、どういうことを教えるべきかわかるはずだろう。
一を教えて十を育てる。
教育という成長の大きな土台となるカテゴリのために、大人は使い捨てのカイロのようになることがいいんじゃないかな。